令和元年の最初の日のニュースで、明治神宮に御朱印をいただきに並ぶ人が取り上げられていました。

 

御朱印のために何をそこまで!と思う人もいらっしゃると思います。ということで、御朱印にハマった僕の意見をまとめておこうと思います。

 

一見してスタンプラリーのように思える(実際そう言われたこともある)御朱印集めの奥深い世界をご紹介いたします。

御朱印集めは不純な動機から

たぶん最初は御朱印が欲しくて動き始めるわけです。つまり寺社参拝の目的がどうも不純なんです。信仰よりも収集・所有欲みたいのが全面に出てるから。たぶん、御朱印集めを敬遠する方はそういう集めることに翻弄される愚かさと本末転倒な感じがダメなのではないかと思っています。

 

でも、実際に御朱印をもらいに寺社参拝をしてみると全く違った感覚を味わうことになりました。

 

御朱印集めは地元から

まず、僕が最初に御朱印集めに課した地元をメインにする!ということでした。僕の場合、埼玉に住んでいるので埼玉の寺社をメインに参拝するということです。

 

なぜ地元の寺社をメインにおいたのかというと、まず単純に無理をしないというのがありました(笑)。御朱印のために遠征をしまくる!というのは経済的にも心情的にもないなぁ~と思っていました。そういうのは御朱印に翻弄されているみたいで個人的に嫌です、ヒキます(苦笑)。

 

また地元の寺社を参拝のメインに置くことで、今まで気にかけていなかったものが見えそうだったというのもあります。

 

御朱印集めは幸せ探し?

ずっと身の回りにあっても全く目に入らず漫然と過ごしてきたものが、ちゃんと目を凝らせば見えるようになる。地元の寺社に目を向けることで、そういうものが見えるようになってきました。またこれって寺社に限りませんよね。

 

例えば、TOEICや試験の問題もそういうものです。答えは試験問題の中にあるのに見えない。でも、成長するとそれが浮き上がるようにググッと鮮明に見えてくる。そういう感覚を御朱印を通して感じることができます。

 

また、もっと本質を言えば、幸せとかもそうじゃないですか。結局、幸せの青い鳥は身近にあったみたいに、僕らの幸せも実は目に見えない、感じる心がないだけで、すぐそこにあるかもしれないのです。

 

自分の地元は埼玉でして、ダ埼玉みたいにディスられることが多いんですが、結構いいところあるなぁと再発見できるというのは幸せを見つけることとほとんど変わりはありません。それまでそんなものはないと思っていたものが見て触れて感じることができるわけですから!

 

限定よりも日常メイン

そして地元をメインにした最後の理由は、何度も通うことを前提として御朱印をもらおうと思ったのです。

 

つまり基本的に一回きりしか行かないところにはあんまり行かないようにしようと思ったのです。

 

御朱印も御朱印帳も限定のものが多くあります(笑)。当然、御朱印を欲しいと思っている者としては限定のものは断然ほしいわけです!やっぱりレアリティが高いものの方が手に入れたいわけです(笑)。

 

ただ限定だからといってそういうのばかり集めていると、どうも道にそれると思ったのです(苦笑)。だって御朱印がメインになって、自分がなくなっちゃうじゃないですか!やっぱり自分だからこそ参拝する寺社の御朱印が集まってほしいじゃないですか!

 

ということで、自分が生活している(生きている)ことが色濃く出るように、できるだけ日常に根付いた寺社を参拝しようと思ったのです。

 

四季の変化を味わう

そして、何度も参拝する意味は、一年の自然の変化を楽しめると思ったからです。そもそも当初、桜の花見を巡るののおまけで御朱印も集めてみようと思ったのでした。寺社には染井吉野がほぼ植えられていますからね(笑)。桜を見たくていけば、御朱印ももらえると思ったのです。

 

それで実際に桜を見に寺社に行って御朱印をもらうと、はっと気づいたのです。桜が散って新緑になってから行けば、同じ場所でもまた楽しめると思ったのです。しかも一年を通していけば、それだけ四季の機微を感じ、月日の経過を味わいながら楽しめるのではないか!と。

 

桜の季節だけその寺社を知っているよりは、一年のさまざまな表情を目にしていく方が楽しみや喜びが増えると思ったのです。

 

また、同じ寺社に何度も通うと思い出も増えていきます。

 

行けば何かしら御朱印をもらえるだろうと思って行った隣町の川越。出発前は忘れていたのですが、その近くまで行って川越氷川神社をふと思い出しました。僕の亡くなった親友と生前そこに行ったことがあったのです。あいつと参拝して以来行っていなかったので、これを機会に参拝しておこうと思いました。そうやって親友の思い出もおもいだせました。

 

人生を運ゲーにしない

さらに川越氷川神社は恋愛成就の神様だとそのとき初めて知りました。御朱印に興味がわいてから調べて気づいたのです。そして恋人がいない自分はおみくじを引いてみたのです。すると…大吉を引いてしまったのです!

 

しまった!こんなところでくじ運使ってしまった!もったいない!と思いました(苦笑)。でも、そこで大きな発見をしたのです。

 

何の想定もなくお寺や寺社のご利益を期待していたら、それは運です。

 

でも、自分で何かを具体的に求め、そのために努力行動し、その一環として寺社にて祈願をしたのなら、それは運ではなく神様や仏様の後押しをいただくことになります。要するに、最強の応援団からの声援を得られるわけです!人事を尽くして天命を待つという心境がわかったのでした。

 

そうなるとさらに寺社巡りが主体的になってきました。

 

例えば、TOEICのスコアを上げたいと思ったら、今までは単に英語の勉強をするだけでしたが、今は勉強をしてさらに菅原道真公が祀られている学問の神様にお参りにいきます。仕事で出世をしたいと思ったら、仕事も頑張ってさらに徳川家康公が祀られている東照宮(日光以外にもある)に行きます。収入をアップさせたいと思ったら、やはり仕事を頑張りますがさらに金運アップの寺社に行きます。

 

すると、自分の目的や希望や欲求を再確認することができます。ただ漠然とした神頼みなんてことをしなくなります。神頼みだけに頼ると運でありバクチになります。そうじゃなく自分の願いにフォーカスし、実際に行動しつつ、祈願する。

 

人事+天命=ドラマ

すると、自分の小さな願いが大きな流れに乗る感覚があります。不思議なものですが、寺社仏閣が数百年紡ぎ続けた人々の祈りの流れの中に、今現在生きている自分の小さな願いが乗っかって進みだす感覚がします。それまで荒野をただ歩いていただけのような感覚が、船に乗り川の流れも味方に付けられるように感じるのです。

 

ドラマが動き始める感覚です。それは恋愛ドラマでもいいですし、成長や成り上がりドラマでも構いません。それまで無味だった自分の人生に彩りが加わり、流れが生まれ、物語がスタートする。大げさに思うかもしれませんが、実際に行ってみるとそういう感覚がするのです。

 

最後に御朱印の大きな特徴は日付だと思っています。確かに工夫を凝らした御朱印もありますが、自分が実際にその瞬間に生きていて、その寺社を訪れた日付が付与される。それこそまさに自分だけのオリジナルで貴重な時間そのものです。

 

また一つの御朱印はその前後の御朱印と共に自分自身の物語をあらわにしてくれます。平成の終わりに自分は誰と一緒にいたのか?令和の始まりを自分はどこで迎えたのか?

 

自分はいつその願いを持ったのか?その間どれだけ努力をしたのか?達成してお礼参りをすれば一つの物語になります。御朱印帳を開けば、それらの日付を知ることができます。

 

ということで、御朱印集めはコレクションする楽しみなんかより、自分の人生をささやかなでも鮮明な一つの物語にしてくれる。おススメです。