僕の最大の味方であり、最大の敵は「時間」だと思っている。
時間は、オーロラのように輝きながら僕らを包むこともあれば、到底支えきれない岩のように重くのしかかることもある。
天使であり悪魔であり、喜びであり悲しみであり、さらに慈悲深くもあり残酷でもある。
瞬間を感じながら永遠を見つめることが僕らにはできるのだ。
結局、何が「時間」のその二面性を規定しているのかというと、間違いなく自分自身なのだ。
自分が好きな人といれば天使が僕らに微笑み、春の夢のようにあっという間に時間は過ぎていく。一方で、自分の意志と反することをさせられていたら僕らに悪魔が降臨し、耳元で永遠に終わらないかのような呪文をささやき続ける。
天使を召還するのも、悪魔を呼び出してしまうのも、僕ら次第なのだ。
また経験上、そのどちらを自分の元に呼び出すのかは、修練を積むことでどうにかなる。
人それぞれの個性から天使を召還しやすい人と悪魔を呼び出しやすい人がいるが、それも訓練である程度なんとかなる。
もちろん人生においては、目の前の視界さえも遮られてしまう暴力的なまでの嵐のような出来事が起こることがある。空高く伸びる竜巻に飲み込まれたような状況で、自らの力で天使を降臨させるのは相当難しく、悪魔のささやきが耳から離れないかもしれない。
それでも、僕らの日々の晴れたり、雨が降ったり、曇ったりというような日常においてはほとんどの場合、天使と悪魔の召還法は訓練でなんとかなると僕は思う。
そうなのだ、時間がキーポイントなのだ。
天使も悪魔も実は存在せず、そこには時間が無言で存在している。僕らがその時間にセリフを付けることで、天使にも悪魔にもなるのだ。
僕にはやはり天使の守護が必要なのだ。人生は厳しく、時間の前に人間はあまりにもろい。天使の庇護が必要なのだ。あなたもそうではないだろうか?
だから僕は、無駄に伸びる時間を短くし、一瞬のように過ぎてしまいそうな時間をできるだけ長くなるようつなぎとめる努力をしている。
そうしていかなければあまりに人生は辛いものになるじゃないか。
そんなことは不可能だ?と思うかもしれないが、アインシュタインの相対性理論ではすでに時間は一定ではないと証明されているでしょ?
また、あなたもすでにわかっているはずだ。時間の存在は時計やストップウォッチで計測した結果現れるのではなく、時計やストップウォッチを覗き込んでいない瞬間に存在すると。
時間を克服するには、時間を見てはいけないのだ。
すべては僕の中にあり、あなたの中にある。