引っ越しのアルバイトを辞めることになったのは突然のことだった。前にも書いたけど、僕自身は2019年の春くらいまでは本気でそのバイトを続けようと思っていた。
でも11月の初めにある問題が起きた。
親友の弟さんとの対立
それは最初は、僕と死んだ親友の弟との間のものだった。発端は僕が彼のLINEに、「M市(親友が結婚と同時に新生活を始め10年近く住んでいた西日本のとある街)に行ってみたいと思う。そしてそこであいつのことを知っている人たちに会いたい。できることなら元奥さんにも」という内容を送ったことだった。
元々、弟さんはM市に兄の死が知れ渡ってしまうことを恐れていた。でも、すでに親友の葬儀のときにM市に知り合いがいる人物が参列していたのだ。人の口に戸は立てられない。すべてを埼玉だけにとどめておくことなんてできないことは明白だった。
2018年11月には一周忌も1か月前に終わり、僕がM市に行っても問題ないと思っていた。というか親友についての真相を知らないままではM市では彼について憶測や噂が広がって定着しているかもしれない(この後にわかるのだけど実際そうだった)。
誰かが行って埼玉とM市との橋渡しをしないと、親友の人生が分断されたままになってしまうと僕は思っていた。
また僕のそういう意図がLINEだけで伝わらなければ、弟さんに詳しく説明すればいいと思っていた。
しかしそうはならなかった。弟さんは僕には返事は送らず、彼が知る限りの僕の友人や知人にLINEを送った。内容は「一体どういうことなんだ?」ということだった。彼は僕の依頼に腹を立て、僕とはもう関係を継続できないそうだった。
僕が引き金を引いてしまったせいで、周囲がめちゃくちゃになった。
僕は、親友の家族とは一切連絡が取れなくなり(弟さんの友人に禁止された)、代わりに僕の友人が連絡係になり、結果的に対立が起きた。
弟さんとその友人と、僕ら亡くなった親友の友人らの間に大きな隔たりができてしまった。
僕はその対立が起きるのをなんとか収束させたかったけど、すでに蚊帳の外で何もできなかった。
対立の収束に向けて
そんなある日、親友の弟さんから唐突に非常に無礼なLINEをもらった。内容は書けないけど、そんなことは言わなくてもいいのではないか?という内容だった。
親友がなくなる前、僕は鬱病の彼の話を真摯に耳を傾け続けた。家族はどうだったか?
もうほとんど息がなかったあいつを見つけたのは僕だった。そしてあいつに人工呼吸と心臓マッサージと119番に連絡したのも僕だ。そして一命を取りとめて、あいつは約1週間頑張った。
死後の戒名の二字は、家族が思いつかないからと僕が提案したものだ。遺影の写真は僕が撮影したものだ。
通夜では、親族が帰った後も、親友の知人に会って事情を説明し、相手の想いを聞いていた。
葬儀の後も、その弟さんが取り乱してしまったときには実家に行った。
四十九日は、僕の誕生日だった。
新盆には、両親が辛くて行けないということで、僕とその弟さんで参列した。
今まで自分のためなんてこれっぽっちも思わないで、ただ親友の最期をあいつらしく優しいものにしたいと思っていた。
でも、そのLINEを弟さんからもらった僕はもう何か大切なものを壊してしまってもいいから、弟さんにすべてを突きつけてやろうと思った。僕だけが見た親友の真実だ。そして僕は彼の実家に向かった。
その途中に、あいつが眠っているお寺があった。もう夜になったそのお寺を前にしたら、僕がしようとしていることは全く意味がないとなんとなくわかってきた。
そしてなんだか悲しくなって涙が止まらなかった。弟さんには結局何も返信しなかった。
結局、そのまま僕は行くあてもなかったので、高校の先輩のところに行っていた。その先輩には一年に数回しか会わない。その日に行く用事もなかった。
でも、僕にはそこしか行く場所がなかった。親友の同級生の友人たちはみんなこの対立に巻き込まれていた。先輩は亡くなった親友のことも理解していたし、まだ対立の中にはおらず、冷静で客観的な立場の人だった。
そして先輩に会いにいき、事の顛末をすべて話した。
先輩と話して気づいたこと
結果的にわかったことは、実家に行って何を話しても、なんの解決にもならないということ。
そして、このままじゃ、もう誰もあいつのためなんか考えてないってこと。
弟さんは自分のプライドを守り、僕たちは亡くなった親友のためと言いながらも対立してからは結局は自分のメンツを通そうとしている。そこに親友はもういなかった。
あいつが死んでしまっていないのはもうすでにわかっていた。でも、親友を大切に思っていた人間でさえ、もう誰もあいつを思っていない。自分たちのエゴのために対立してしまっている。
先輩と話しながらそう気づいた。そして、実家に乗り込まなかったことで、先輩と話せていることにも気づいた。また僕のLINEには「今は会えないけど、後で話を聞くぞ」という友人もいた。
そうだ、親友を思う友人や知り合いとは僕らは今も繋がって、あいつのことを思う存分語り合うことができるのだ。
残念ながら弟さんとそういう話をするのは不可能だった。もう彼にとっては亡くなった兄はタブーになってしまったのだろう。または誰のものでもなく自分だけの兄にしておかなければならいのかもしれない。
でも、僕はそうはできない。自分だけで抱えておくには一人の男の人生は重すぎる。それに存在だけでなく、会話やアイディアの上でもあいつがいない世界というのは寂しすぎる。
だから、僕はあいつの話を今でもしていたい。話に出てくればなんとなくあいつもいるように思う。遠く離れても話題に出れば居場所ができる。
先輩に泣きながら話をして、そう気づけた。僕は弟さんとの対立はそのままで、とりあえず親友のそばにいようと思った。その方が、いろいろな人と繋がっていられるのだから。
先輩の意外な提案
そこで話が一段落したので、僕は先輩に「英語の教室を閉めて、今は引っ越しのアルバイトをしている」と告白した。これまでなかなか自分の近況についてじっくりと話す機会がなかったのだ。
すると先輩は「そうか」と少し驚いたようだったけどすぐに「じゃあ肉体労働できるんだよね?」と聞いてきた。
「できますよ」と僕は答えると、「いい仕事がある」と来た。
そして仕事を紹介された。その仕事は、僕の家から自転車で30分もあれば着くところにある工場の仕事だった。しかも正社員で雇ってくれるそうだ。またその仕事内容は、僕の古くからの友人が精通していて同業者だった。
この時期はまだ英語講師としてもう一度再起したいと思っていたから少し迷ったが、でもこの流れを考えたら乗った方がいいと思った。
だって亡くなった親友が呼んでくれたのかもしれないじゃないか!
ということで翌日に社長にアポを取り、翌週に面接をし、面接の翌日から試用期間として働き始め、本来1か月と言われたその期間は2週間ほどで終わり、11月20日付で正社員になっていた。
僕の引っ越しアルバイトはこうしてあっさりと終わってしまった。
続きます。